ここにしかないどこかへ

仕事を納めてもまったく年末感がなかったのに、今朝自宅の整理をして実家に向かっている途中で急に「一年終わりますなあ」という実感がじわじわ湧いてきた。
引っ越したので自宅から実家のある街には20分ほどで到着するようになり、大阪に住んでいた頃にあった亡命感はない。元栓大丈夫だよなーという出発直後の思い返しをしているうちにもう実家の最寄り駅に着いていた。

いやあ、もう、すごい一年だったんですよね。すごい一年だったけど、その「すごい」にはこの場所での出来事も多分に含まれているので、あえてここで書こうと思った。
富士急の何かのようにめまぐるしく感情が乱高下した一年。富士急行ったことないです。いいことも悪いこともあったけど、振り返るといいことの方が多かった。質より量なんだよ、こういうのは(質でいうとトントンなのですが)。

悪いことは悪いことなのでわざわざ書くことはない。年始早々会社のトイレで一人呼吸のやりかたを忘れたり、泣きながら上司に「この案件から外してくれえ」と懇願したりした。夏には体調を崩し、一週間会社を休んだ。あ、結局書いてしもうたね。

そんなことはどうでもいいんだ。

自分が自分で思っているよりひ弱で、周りを頼らないと倒れることに気付いた。そして「ひ弱だから助けてくれ!」とアピールできるようなアグレッシブさはなく、プライドだけが高い人間で、だからこそ自分で自分を救うための方法を増やしていくしかないことを知った。
今日、家族でイオンモールに行った(私はイオンモールが大好き。すべてがあるし、でかいから)ら、迷子の呼び出しが頻繁にされていた。横にいた母親が「そういやあんたは迷子の呼び出しされんまま大人になったなあ」と言っていたが、幼児の頃からプライドが厭に高いというか、自意識が過剰というか、そういうところがあったのかもしれない。「私は迷子でーす!」と周りの大人に言うのが恥ずかしく、絶対に迷子だと悟られないよう、商品を見ているふりをしたり、店員の視界に入らないよう逃げ惑ったりしてやりすごしていた。
今年はそういう、商品を見ているふりとか、店員から逃げるとか、そういう方法をたくさん身につけていった年だったように思う。

まず、文通を始めた。顔も住んでいるところも知らない大学生と、月一くらいで手紙のやりとりをしている。自分の目に見える範囲から遠く離れたところに人の繋がりがあるのは心強い。何より手紙は手書きのやりとり。力強い筆致としなやかな言葉、そして付かず離れずの距離感が心地よい。知らない人だからいいんだろうなあと思う。
手紙の良さにすっかりハマってしまい、好きな作家さんにファンレターを出したりもした。まさか返事が来るとは思っていなかったので、ポストに好きな作家さんの名前が書かれた封筒が入っていた時はしばらくポストの前に立ち尽くしてしまった。

そしてこのブログでも書いていた、深夜ラジオ。もう、本当に救われた。ありがとうございます。TBSラジオニッポン放送には足を向けて寝られない。ありがとうございます。
深夜の眠れない時間に誰かの声が聞こえる嬉しさ。しょうもないことで誰かと笑い合えている実感。おぎやはぎのメガネびいき山里亮太の不毛な議論空気階段の踊り場、オードリーANN、三四郎ANN0 を聴いています。お笑い芸人のことがわかるとテレビを観るのも楽しくなって、最近はアフラックのCMを観るたびに安心している。M-1も去年よりずっと真剣に応援してしまった。今日の有吉の壁も面白かったねえ!
ラジオのおかげではてなブログさんに記事を紹介してもらえて、そのことで自分の文章に自信が持てた。おかげさまでずっと悩んでいたブログをZINEにする決心がつき、春先に販売すべく準備中です(Twitterで告知します)。

すごく長く書いてしまった気がする。

本当に辛くて苦しくて、会社にいるだけで息ができなくなっていた時、銀杏BOYZのエンジェルベイビーをずっと聴いていた。御堂筋を歩きながら、或いは自宅近くの線路にまたがる歩道橋の上で、限りなく大きな音で繰り返し繰り返し聴いた。

エンジェルベイビー

エンジェルベイビー

この曲がなかったら本当に、今年はもっとよくない方向に転んでいたと思うんです。ここにしかないどこかへ。うまい具合に逃げて、闘って(逃げることだって時には闘い)、勝ち負けとかではないけど、死なずにやってこれた。
この曲と、ラジオと、このブログ。この三つでどうにか、どうにか年末を迎えられました。

ただ、まだ親とは合流できていない。広いイオンモールの中を、一人彷徨っている。でも、まあ、イオンモールって楽しいし、親と合流できなくても、まだ大丈夫。とびきりかわいい服を買って、すばらしい本を買って、フードコートでおいしいごはんを食べる。カルディでコーヒーを飲みながら変な調味料を買う。まだ大丈夫だ。

来年もそんな感じで彷徨っていこうと思います。よいお年を! kiss...

ふりかえ(り)休日

自分のブログ歴を振り返ると、大体15年ぐらい前まで遡れる。
ブログをやりたくてやりたくてしょうがなかった小学生の頃、親の許可も下りず、渋々おこづかいを貯めて買った「ズバリ日記帳」というブログ風日記ソフトで日記をつけはじめた。それが自分にとっての原初のブログ体験。

もう人生の半分以上、ブログを書いていることになる。YahooにFC2、忍者、Alfooやエムブロ、つなビィ……。渡り鳥のように放浪しながらあちこちに人生の痕跡を残してきたけれど、ここまで長期間続いているブログははてなブログだけだと思います。そしてこんな私をよそに10年間もインターネットで居場所を設け続けてくださっていたはてなブログはすごい。ありがとうございます。オタクなので概念グッズに弱く、はてなブログのインクて! と仰け反ってしまった。はてなブログのインクて! ありがとうございます。

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

ブログ名は私の所感を書く場所なのでこの名前に。「所感読んでます」と言われることがたまにあり、その度にもっとちゃんと考えて名前をつけるべきだった、と心の中で顎をぽりぽり掻いている。でもこういうのって、ちゃんと考えれば考えるほど照れが勝って、厭になるものだ。このタイトルでよかったなと思う。思うからこそ、発狂せずに顎をぽりぽり掻くに留まっている。

実はハンドルネームらしいハンドルネームをつけずに最近まで来ていて、最近になってようやく「簗川」という筆名で行くかあ、という気持ちになりつつある。「米/よね」が本名に入っているので、「よね」の文字をずらして「やな」に、水にまつわる言葉とのことで、川をつけた。IDの「q」というのは、私が大好きなバンド「くるり」のQです。

はてなブログを始めたきっかけは?

これのことを書こう、と思ったのがきっかけでした。当時付き合っていた人によくわからない振られ方をして、茫然自失としていたときに傘を失くし、わけもわからないまま北大路バスターミナルまで取りに行ったときのこと。なんだか風景のひとつひとつが美しく見え、これを残しておかなければ、残すことで何か成仏ができないか、という気持ちで書いた。

個人的な経験則で言うと、失恋を機に始めた趣味はわりと長続きする。アイドルのスマホゲームとこのブログがそうです。

自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

何かズバ抜けていいことを書いていたり(そういう文章はここにはない)、文章としての美しさがあったりするわけではないけど、当時の焦燥感や明るい絶望感が生々しく残っている。

日記は読み返すことに楽しみがあって、それまではただ苦しいマラソンで、半年以上続いた試しがない。でも、読み返すことに意味があるなら、日記を付けるチャンスはまさに今なんじゃないか、と思った。

と書いているけど、まさしくそうだったよ、あんた正解、と思う。
そういう経験があったからこそ、在宅点描以来こまめに文章を書くようになった。いろんな契機になった文章だと思う。

ブログを書きたくなるのはどんなとき?

だいたいこういう時間帯。前に「夜の海にボトルメールを流す感覚」と書いたけど、それです。
返事が欲しいわけじゃないけど、書くことを通して気持ちを整理したり、自分の中にある思考のキャパを開放したりする。
あとは、「この気持ちを思い返したいな」と思うタイミング。時間が経つとこの感覚って変わるだろうな、ということがなんとなく分かる瞬間に書きたくなる。現に、学生時代の文章は、すでにちょっと自意識過剰の香りを感じて喉がつかえるような感覚になるものがある。時間が経てばいい思い出になる確証はない。わけもわからず「まあ酒というものにはなるんやろうな」と思いながらぶどうを踏んでいる。

下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

10本くらいあった。会社を一週間ぐらい休んだ時に毎日つけていた日記を、最終日にまとめて非公開にしたものが主。あとは今公開しているもののベースになったメモとかでした。
ひとつ、「こういうの久々にやりたくなって」という書き出しで100の質問に答えようとしていた下書きがあった。5問目で挫折していた。今回こういうテーマに出会えてよかったです。

自分の記事を読み返すことはある?

かなりあるし、自分しか読んでいないと思っている。一度読みまくっていたら「アクセス数がこんなに伸びました!」的な通知が来たことがある。
お酒がおいしくなっているかの確認。あと、自分で書く文章のことが結構好きなのです。唯一自分で自分を愛せるところ。

好きなはてなブロガーは?

わーっ。すみません勉強します。書いてばかりで、読むということを全然してこなかった。
でも最近、はてなブログtwitterをフォローしたら、色々な人の生活の断片が流れてきて楽しい。テキストサイトを読むのが好きだったなー、なんてことを思い出す。(僕秩でゲラゲラ笑ってた小学生でしたが……)
読者機能とか、うまく使いこなせるようになりたいですね。なんか、赤い、赤い星? が10個ももらえるらしいので……。私のことをはてなブロガーと呼ぶのはやめたほうがいいです。

はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

最初に全部書いちゃった。学生時代から、何か不安になると必ず開いていたのがはてなブログだったので、いつもそばにいてくれてありがとうございます、という気持ちです。
人に例えるならば、よく行く喫茶店の決まった席に座っている、リネンのシャツとブラウンのベストが似合う、ちょっと癖毛で眼鏡を掛けたお兄さん。要はかなり好きです。これからも窓際の席で砂糖なしのカフェオレを飲みながら頬杖をついて外を眺めていてくださいね。

10年前は何してた?

つい最近「中学行ってなかったんですよ笑」と言って「え〜!笑」と言われた。中一の終わりくらいから別室登校だった。
10年前というとまさに高校受験に向けて必死でがんばっているときで、当時はweb関係の仕事に付きたいなあという思いで私立の情報科を目指していた。自慢じゃないけど進研ゼミガチ勢だったので、国語とかは学年一位だったんですよ。でも体育は出ていなかったので「斜線」という見たことのない成績を叩き出し、内申でハネられてその高校は落ちた。筆記は余裕で合格圏内だったんだけどなあ。
結果的に、ヤケクソで受けたデザイン科に合格したことが契機となって今に至っているので、今思うと落ちて良かった。目先の技術より、学問を学べたことが自分にとってかなり大きな武器となっている。

この10年を一言でまとめると?

人間になったねえ。自意識の塊だったのが大分角が取れて、人間になってきたと思う。会社の人事にも「最近しなやかになってきて、より成長してくれている気がします」と言われた。
周りが少しずつ見えるようになって、慮れるようになったり、逆に踏み込めるようになったり、本当にしなやかに動けるようになってきた。これは自分の人生において大きな成長だったなあ。そしてその経過をわずかでもこの場に記録できていることが嬉しいです。これからもいっぱい書くぞ。

今日2回目のワクチンを打って、案外大丈夫やわ笑と思いながら書き始めたのですが、かなり肩首が痛くなってきた。吐き気もする。ひーん。
とりあえず横になろうと思います。はてなブログさん、10周年おめでとうございます。横の状態から失礼します。今度来たときは一緒に砂糖なしのカフェオレ飲んでもいいですか。ひーん。好きです。

われわれには

ずいぶん前にもらったBluetoothスピーカーを久しぶりに使った。
auの長期契約か何かで交換したものだったと思う。在宅勤務の傍らで、キッチンで、枕元で、いつでもクリアな音でラジオが聴けて嬉しい。もっと早く使えばよかったなあ。

深夜ラジオを聴き始めて1ヶ月ほど経った。会社の先輩後輩におすすめを訊きながら、少しずつ聴く番組を増やしている。
オードリーのオールナイトニッポンに始まり、おぎやはぎのメガネびいき山里亮太の不毛な議論空気階段の踊り場。耳が足りない。

深夜、暗い部屋で布団に包まるとき、どうしようもない寂しさや不安で目蓋がおりない時がある。
仕事が行き詰まっている時、会いたい人に会えなかった時、そんな時にひとりでやり過ごすしかない自分への不甲斐なさ。良くない気持ちが頭の中でぐるぐる巡って、振り切るように寝返りを打っても打ってもどうにもならない夜。
こんな日は何をしても意味がない。縁もゆかりもない都市の小さなワンルームで、布団で自分の身を守りながら朝が来るのを待つ。そういうことをしながらひとりの夜をやり過ごしてきた。

寝る前にスマホをスピーカーにつないで、radikoをひらく。
暗闇で静かに話す誰かの声を聴いている時、ああよかった、と心の底から安堵する。タイムフリーで聴いているから、リアルタイムの声ではないけれど。ああ、ひとりではないな、と思う。そうしているうちに目蓋がおりて、気がつくと時報で目が覚める。朝とも夜とも言えない時間になっていて、番組は知らない間に終わっている。

先日の、東京で大きな地震があった日のメガネびいきを聴いた。
電車が止まって家に帰れず、タクシーを待つ人をレポートするニュースから始まり、歩いて帰る人のための励ましのメッセージ、歩くのが楽しくなるコツみたいなものの紹介。深夜に途方もない距離を歩くことと、眠れない日は少し似ていると思う。思いませんか。終わりがみえないこと、でも確かに終わりはあること、その事実と距離を置いている自分。

最後に、茅場町(どんな街なんだろう。行ったことがない)から3時間歩いて帰ったことがある、という人のメールが読まれていた。
「つらくなったら、われわれにはラジオがあるじゃないですか!」
矢作さんの朗らかな声も相まって、少し泣いてしまった。

ひとりで過ごすことは時折たまらなくさみしくてつらいけれど、ラジオを聴いている間は寂しくないと思える。「われわれ」にはラジオがあるということ。今はひとり布団の中だけど、その両横には同じようにラジオを聴いている人の姿が確かに在る。われわれには、わたしたちには。わたしには、ではなくて。

その言葉が脳内で反響して、うち震えている間に、おぎやはぎの二人はマリトッツォを頬張って「どらやきマリトッツォのほうがおいしい」という話をしていた。もごもごしながら話をしているのがおかしくって、布団の中で泣きながら笑ってしまった。

今日、メガネびいき内で大絶賛されていた松屋マッサマンカレーを食べた。おいしかったし、何よりラジオと自分の生活の境界が少し滲んだことが嬉しかった。こんなに純粋に何かのファンになることは初めてかもしれない。今度はどらやきマリトッツォを食べようと思う。

夜の海

先日、数年ぶりに、それはそれはもうとんでもない失恋をした。
緊急事態宣言前日のサイゼリヤで、旗揚げゲームよろしく赤白赤白と交互にグラスを呷って、お互いめちゃくちゃに酔っていたとき。いきなり「恋人ができた」と告げられた。一年近く片思いをしていた相手、奇しくも「ええ感じやったら告白しよ……!」と、ミントグリーンのワンピースをおろした日だった。足下の床が、がんらがらと音を立てて崩落するのを感じながら、そうなんですねー、と上ずった声で返す、それが限界だった。

サイゼリヤを出て、大きな川沿いの大きな道を歩いているとき、相手に薦められたのがこの賞だった。「書いてみたら」と。はあ、と返すのが精一杯で、いや、どうだったかな。もうあまり覚えていない。昔こういう類の賞でお肉の券をもらったよ、と言われ、なにその券、と声に出さずつっこんだ記憶はある。お肉の券?(いま調べたら実際にあった)

これほどまでの失恋をしたのは本当に久しぶりだった。
飴とうすめたポカリしか口に入らなくなったり、aikoを聴いて「私ってaikoだったのかな?」という無礼極まりない共感をしたりする。恋愛記録機能のないあすけんにカロリー不足を非情に指摘され、「うるせえ泣きたいのはこっちだ」と怒りながら、どこか「弱りすぎてウケんね」と俯瞰視している自分もいる。

「えー!失恋かーい! 対戦ありがとうございました」
そうtwitterでつぶやいたら、なんだか面白くなってしまった。まさかtwitterにこんなことを書く日が来るとはね。

私にとっての恋愛は、ずっと誰かに話せるようなことではなかった。特にやましいことがあったわけではないけれど、何となく言い出せなくて。
誰にもバレないようにしなきゃ、の一心で、誰にも言わず、ひっそり激烈に燃え上がり、ひっそり失恋して体調を崩す。その繰り返し。友達とも親ともそういう話をしたことはなかった。
そうした時に、自分の気持ちを吐き出していたのがインターネットだった。昔流行っていた、メールで投稿できる日記サービス。どこにもリンクを貼らず、ただひたすら自分の気持ちを書き連ねる。好きな人にこういうことを言われた。言われなかった。言われたかった。そもそも私はどうなりたいんだろう。など。
成就する可能性の低い恋愛ばかりをしてきた(今回もでしたねえ!)し、アドバイスや、ひいては相槌すらも欲していなかったように思う。ただ、日々心の奥底で渦巻く、釈然としない感情を、自分の中ではないどこかに流しておきたかった。

昔、修学旅行で泊まった民宿が、大浴場から海が見える!という触れ込みの宿だった。内陸県に住む我々は嬉々として大浴場に向かったけれど、時間は夜、大きなガラス張りの向こうに広がるのはただ一面の闇だった。どの方角に何があるか一切分からない、ただただ真っ暗。何も見えないことでしか、海の存在を認識できない光景。そういう途方のなさを、インターネットには感じている。
夜の海(と思しき暗闇)にずっとボトルメールを流し続ける。私にとってのインターネットは、そういう場所だった。そういう場所です。今も。

お盆休みを最高のものにしたい。だって私の好きな人は恋人とよろしくやっているのだ。そう思って、気持ちの整理をするために夜の海に飛び込んだら、この賞の告知と鉢合わせた。ぬぼぬぼと揺れる大きな川を思い出す。お肉券……ではないけれど。

おい、書いたぞ! 私は叫んで、aikoを大声で歌って、うすめたポカリをじゃぶじゃぶ飲む。そうして世界では強気なふりをして、これからも夜の海にむかって、本音を流しつづけてゆくのだろう。あーあ!

 

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」 

緊急事態が終わる夜に(在宅点描のその後)

急に在宅の記録をつけることがつらくなって急にやめてしまっていた。
いろいろなつらいことを考えては忘れ、だましだましなんとか一日を終えたのに、日記を書くタイミングで全てを思い出さなければいけないことがつらかった。毎晩泣きながら日記を書いて、なかなか眠りにつけない日が続いた。出勤だけして、全ての打ち合わせを断り、布団にこもって一日泣いた時期が一週間くらいあり、それで日記の一切が書けなくなってしまった。
好きだった本を読むこと、絵を描くこと、料理をすること、全てが億劫になって、ちちんぷいぷいを見ても、お天気カメラで見る風景が自分にとってひどく遠いものに見えてずっと泣く日々。

huluのトライアルに入ってアイドルマスターのアニメを2シリーズ全50話をぶっ通しで見たら少し気持ちがましになった。「笑うなんて誰にもできるもん、私には何もない、何も」と泣きじゃくる島村卯月さんがアイドルをやることの尊さ。自分がいる場所・目指す場所じゃなく、そこへ向かおうとあがく姿こそに意味があることを再確認しました。アイドルマスターシンデレラガールズはアイドルのまぶしさと一緒に会社組織の難しさやしんどさを描いていて、自分自身の仕事と照らし合わせながら考えることがいろいろあった。

世の中としてひとつの区切りがつくらしいけれど、会社としては今からというところらしいです。業績がとんでもないことになりました。悪い意味で。よく言えば日進月歩、悪意を持って言えば朝令暮改、毎日いろいろなことが変わる。私が望まない方向に。どんどんつくる人間が置いてけぼりにされていく。手法にとらわれず柔軟に本質と向き合いたい一心で働いてきたけど、新しい方針が手法主体(韻踏んでるね)のものだったので、会社に向けてでっかい銀の匙を投げたところです。スガキヤの。単にスガキヤの特製ラーメンを食べたいだけだが……(大阪にはスガキヤが全然ない)。
在宅勤務もしばらく続くらしい、けど、今週一ヶ月と少しぶりに出社することにした。もう限界なので。家にいてもずっと泣いているだけだし。あと、先輩が投げた匙落ちてないかな、と少しの期待も持っている。会社は信用していないけど、制作の先輩たちのことだけは信じているので。

そんなわけで、一般社会は心機一転リスタート! 的テンションなのかもしれませんが、私は全然気持ちが晴れず、早く帰省して親に転職の相談をしたいな、と考える日々です。外に出る気にもならない。それは人混みが——とかではなく、単に気分が。今世の中と接したら、自分の孤独がより際立ちそうで、こわいな。

しんどいことばかりだけど、しんどいことに対してきちんと泣いたり寝込んだり打ち合わせを蹴ったり素直なアクションを起こせてよかった。在宅のいいところです。
あと、日中に買い出しに行けるので、生野菜とか、お惣菜とか、テイクアウトとか、これまであまり買ってこなかった食べ物をたくさん食べられてよかった。引っ越してずっと街のことを知らないままだったけど、散歩を通していろいろわかったし。近くに文豪が最期を迎えた場所があって、おいしいお菓子屋さんがあって、高いけどおいしいパン屋さんもある。いい街だ。

在宅勤務が続いたことで気持ちがぐちゃぐちゃになったという、エッセイだとしたら最悪のオチなのですが、一旦ここで在宅点描は一区切りとしたいと思います。ああ。人に向けて書いているつもりはなかったけど、結局こういう書き方をしてしまうな。恥ずかしい。

この時期を経て、時間の味わい方とか、会社との付き合い方とか、かなり変わったと感じる。会社のえらい人は、この世の中の変動をうまく事業に生かして、というけど、こういう個人的な内々の変化は事業みたいな表層的なことではうまく消化できないな、と思う……思いながらも働き続ける必要がある。もう何もわからない。わからないけど、終わります。やっぱりこの、思い返すという時間が少しつらいので。在宅点描もしばらくしたら消すかもしれません。消すというか、なんというか。まあ、追々考えようかな。終わります。読んでいるとの言葉、数少ない社会との接点でうれしかったです。ラブだよ。終業。

在宅点描(14日目)

とうとう9時に起きてしまった。
8時に一度目が覚めて、「まだまだ!」と思ってもう一度寝たことを覚えている。何が「まだまだ!」なのか。起きろ。
慌てて着替えだけをして出勤。ガサガサの声で朝一ミーティングに出てしまった。死にたい。人間として堕ちきる前に早く全部収束してほしい。

風が強い。換気で開けたけど寒くて、でも閉めると無音が寂しくて、開けては閉め、を繰り返す。結果的にこまめな換気。

始まった時に手が空いてたからなんとなく手伝った社内案件、クリエイティブのクの字もなく、ただただ主催者が決断をするために背中を押す係みたいな仕事。自分でやると言ったことなのだから自分でやってくれい、と思うけど言い出せずずるずる手伝っている。今日はそれの打ち合わせ。
社内の仕事という名目だけど大方相手の自己満足として進んでいて、多分関わってる人全員意図を完全に理解してないんじゃないかなと思う。でもみんな「大人」だから何も言わないんですね。ばかばかしー。「誰にも伝わってないと思う」とか「自分の思いが全員の総意と信じ込むなよ」とか「神経ごんぶとだね、神経のうどん、神経が出雲大社のあの、あれ」とか、そういうことをふわふわのオブラートで過剰包装して言っているけど、伝わっているかわからない。何がいいたいかというと、そんなことで週三各一時間拘束するなということ。これは在宅は何も関係ないただの口だった。死刑。

お昼、サッポロ一番塩ラーメン。私は袋麺でサッポロ一番塩ラーメンが一番好き。これは緊急事態宣言が出る前日あたりにスーパーでラスイチになっていたやつ。お湯を沸かして袋を開けてから「貴重なサッポロ一番塩ラーメンをこんななんでもない日に開けてしもた」と後悔したけど時すでに遅し。キャベツとにんじんと卵でとじる。切り胡麻のフォントが好き。胡麻って切る?

昼過ぎから打ち合わせ三本ノック。なぜかたいてい三本立て続けにある。退屈。こんな状況でも少しずつ仕事は動いている。ありがたいことだな。

打ち合わせのあとは頭がとても疲れていて、私を置いて時間は夕方だし、打ち合わせだけがあって仕事はまったく進んでないし、ちょっとした地獄じゃん、と思っておやつを食べる。クリームチーズ今川焼き。これはほんとうにおいしいです。全員食べたほうがいい。
「うううー」と唸りながら10分ほど横になったあと仕事。爆裂に仕事。終わらない。終わらない仕事はない。終わって時計を見るともう21時前だった。

非日常は徐々に日常になりつつあって、ここ数日は前のように涙が止まらなくなることは減った。できる範囲でできることをするしかない、という前向きな諦め。たまに散歩に外に出て、それ以外は家から日の光を浴びて、声を出したくなったら小声で歌う。人と合わないぶん気さくにチャットできるようになったし、電話口でよく笑えるようになった(これはまだ愛想笑いが八割ぐらいだから精進が必要)。
問題は起床時間。大丈夫かなあ。こんな時間まで起きているのが悪いんですが。もう金曜だけど、どうせ土日もすることないし、週末のワクワク感が一切ないのは悲しい。ゴールデンウィーク、もとい、ステイホーム週間になったら何して過ごせばいいんだろう。案外あるな、やりたいこと、と思えるのでまだ幸せ者かもね。とりあえずは残り少ない4月を生き抜こ。終業。

在宅点描(10日目/11日目)

昨日ネットが終わっていて更新できませんでした(元気が出なくてオモコロチャンネル見まくってたら通信制限になっちゃった)。
今日のぶんと合わせています。合併号だ。

二日ぶんなのでお経のように長いです。同じ長い文章なら憲法とかを読み直したほうが有益です。あと虫の話とかをしています。虫がダメな人は憲法を読もう。

続きを読む