味噌汁の具、その光

先日手に入れたネットプリントに、台所にまつわる文章が載っていた。その人の台所の写真が添えられていて、コンビニ帰りに歩きながらしばし見入ってしまう。
整然と並べられた調理器具のひとつひとつを眺めながら、その人の暮らしを想像する。これまで特に意識してこなかったけど、そういえば私は台所のことがけっこう好きだな、と気がついた。

どれだけ仕事が忙しくても絶対にご飯は食べる。ご飯が好きだから。もちろんお惣菜を買う日もあるけれど、そういう日だって少しは台所に立つ(かさかさのビニール袋からお惣菜のパックを出すという軽作業)。だから多分、私はほとんど毎日台所に立っている。

狭い。

この家に引っ越してきてから、お味噌汁をよく作るようになった。引っ越したこととの関係はあまりなく、単にハマっている、というだけのことだ。
粉末だしと水を琺瑯の小鍋に入れて、沸かしながら具材を煮込む。具は台所に立ってから決める。野菜室でじっと眠っていた大根の端っこ、くたびれてきた小松菜、舞茸は取れた分だけ好きなように入れる。最初はいつも使っていたかつおだけだった粉末だしも、最近は昆布やいりこ、あごなどいろいろ試してみるようになった。昆布だしのまろい味が好き。そのわりに味噌はまだ冒険ができず、タニタ食堂のやつをずっと使っている。

日々の流れ作業のひとつとして立つ台所。その日その日に即興的に作る味噌汁。ルーティンの中に組み込まれた些細な機転は、生活の中で小さな光を放っている。
いかに野菜室を整えていくかという課題、それをやりきったときの達成感。かつおいしくてあたたかいものを口にできる喜び。まるで毎日小さなパズルを解くように、一杯いっぱいお味噌汁を作る。

具は鍋の残りの白菜から、菜の花へ。毎日の思考と工夫が少しずつ積み重なって、季節が移っていく。